日本代表監督、ザッケローニなの!?
いつからそうなったの!?
なんか突然名前挙がった感じだし…
ACミランが好きなわたしからすると“いい監督”と言う印象がない。
98-99シーズンだったか、とにかくヒデがペルージャ移籍したシーズンに優勝したけど、全く面白くなかったような気がする。
※最終節はペルージャでググリエルミンピエトロの左サイドからの弾丸ミドルが終盤に決まって、2-1で勝って優勝を決めたシーズン。レオナルドがいた!
フォーメーションは3-4-1-2。コスタクルタ(か、なんだっけなあ、若いイタリア人)-アジャラ-マルディーニの“センターバック”が三人並ぶ3バックで、中盤は右からヘルベグ、アルベルティーニ、アンブロジーニ、ググリエルミンピエトロ(あっ!ココとセルジーニョもいたなあ)、トップ下にボバン、2トップが“リベリアの怪人”ジョージウエアと“ドでかい”ビアホフ。
ザッケローニは“3-4-3信者”と言われるほどこだわっていると言われるが、ミラン時代はトップ下にボバン(もしくはレオナルド)がいた。
※ミラン会長のベルルスコーニが「4バックで2トップにしろ!」って言うので、2トップにしたのかもしれない。当時のメンバーではウイングをできる選手がいなかった(セルジーニョがやる場合があったが、本職は左SB)からかもしれない。
しかしながら“3バック”は貫いた。この3バックは最悪のカタチで、センターバックが本職(マルディーニはまだいいとして)の選手で構成されるため、3人がセンターに寄る傾向が強い。よって、サイドにスペースが生まれる。そこのスペースは中盤のサイドの選手がひとりでカバーするカタチになり、結果5バックになりやすい。攻撃時には、サイドに選手がいないためロングボールによる大味な攻めが中心となる。視聴者は最終ラインから“ドカ~ン”と蹴られたボールを、“ドでかい”ビアホフに当てて、ウエアが拾うのを“ず~と”見ていることになる。
面白くなかった…
そもそもこの人、3バックの概念がずれてる(あくまで当時ですよ)。アヤックススタイルの“3-4-3”に憧れるのはわかる。アヤックススタイルの場合、このミランと圧倒的に違うのが3バックの構成。アヤックスの3バックは4バックから派生したカタチで、センターバックが縦に並ぶ。センターバックの一人が“アンカー”のポジションに入ることになる。よって3バックの並びは、サイドバック-センターバック-サイドバックとなる。このカタチだと、3人がセンターに寄ることなくピッチをバランス良くカバーできる。しかし選手間にスペースが生じるため、アンカー(この場合、本職がセンターバックだから守備的MFより一対一に強い)がボールの出所を潰し、3バックはラインを上げることが必要となる。
一方、ザッケローニミランの場合は、前出したように3バックの構成はセンターバック-センターバック-センターバック。その前に2ボランチを置くのだが、これはこれで役割が曖昧で、サイドのケアのため持ち場を離れることが増えるため、バイタルエリアがスカスカだった。その前にいるのは“トップ下”のボバン。ゲームメーカータイプのため、ボールが欲しくてボランチ付近までもらいにくる。当然中盤のサイドは最終ラインまで下がって5バック状態。5人もいたら、オフサイドを掛けようにも統率はできない。ほっといても自陣に人が集まり、前線か孤立してしまう陣形だった。
そんな試合を毎節、毎節見せられたら、いくら優勝しても“いい監督”だなんて言えない。
昨シーズンは途中からユベントスの監督をしていたが、低迷していたチームを立て直せず契約更新されなかった。
ザッケローニが有名になったのは、ミランの前に指揮をとっていたウィディネーゼ時代。チームは3位(?)になって、ビアホフは得点王だった。当時、ビアホフのヘディングの強さは飛び抜けていた。高いだけではなく、シュートが上手かった。
ザッケローニはミランの監督就任が決まると、ビアホフと、右サイドを“無尽蔵に走る”ヘルベグをウィディネーゼから移籍させた。
自分流の3-4-3を実現させるためにはビアホフが必要で、自分流の3-4-3の欠点を隠すためにヘルベグが不可欠だった。
ザッケローニには、この二人が不可欠ということがわかっていたのだ!
この人には他のオプションがないのだ!
その後、ザッケローニはこの二人がいないチームで成功していない…
そんな人が“我が”日本代表の監督になるそうだ。
どうやら、平山くんの「代表入り」は間違いない。

ちょっと心配ですが…