実に“違和感”がある。
“ロンドン”オリンピックにおける男子サッカーのことだ。
自分の中で“全く”盛り上がらない。
28年ぶりに出場したアタランタや“ゴールデンエイジ”が参加したシドニー、小野伸二や平山くんなど当時のスターを揃えたアテネ、そして現代表の礎となった北京と、それぞれある程度興味を持って観ていたはずだが、今回はホントに興味が薄い。
よくよく考えれば、回を重ねる度に興味が徐々に薄くなっていたような気がする。
出場している選手の問題ではない。
理由はハッキリしている。
“ワールドカップ”の存在だ。
日本代表は、オリンピックのみならず、ワールドカップにも“常時”参加できる国になった。
そして気が付いてしまった。
ワールドカップの面白さに。
ワールドカップは男子サッカー界における“最高峰”の大会。
プロ選手の全てがこの大会を目指す。
一方オリンピックはイマイチ位置づけがわからない。
年齢制限付きでのプロ選手の参加、さらにはオーバーエイジ枠など、明らかにビジネス的な要素が見えてしまっている。
選手の構成も、2年後のワールドカップを見据えて“新選手の発掘”が最大の目的となっており、マスコミが言うほど真剣味が薄い。
日本の場合はさらに曖昧だ。
フル代表と五輪代表の監督が違うため、五輪代表選手がスムーズにフル代表へとステップアップできる環境にない。
ザッケローニがいくら「ボクは観てますよ」と言っても、それは所詮“他人”のチーム。
見方は我々と同じ“観客目線”に極めて近い。
トルシエが代表監督だった時は、トルシエがユースから五輪、フルに至るまで全てのカテゴリーの監督を兼任していた。
そのため、年齢に関係なく、自分がいいと思った選手を“容易”にフル代表に引き上げることができた。
当然、選手のモチベーションも違ったことだろう。
だからこそ選手には活躍して欲しい。
世界に対してアピールし、海外チームへと移籍して欲しい。
結果ではなく、内容にこだわって欲しい。
サッカー日本代表にとってオリンピックは、“海外移籍への品評会”。
そう思えば多少は意味がある。
女子はもちろん意味が違う。
プロ選手とはいえ実質はアマチア。“最高峰”がオリンピックだ。
競泳も、柔道も、バレーも、卓球も、陸上も、あらゆる競技の選手を応援しているが、男子サッカーは違う。
先日、北島康介がテレビでこんなことを言っていた。
「オリンピックは大運動会」
実に的確な答え。スッキリしたことは言うまでもない。

みんな頑張って!応援はしてますよ!